アンデレ便り3月号:2016大斎節

戸教区宣教140周年記念教区礼拝が行われる9月22日を目標にして、松蔭女子学院関係者によるミス・リー書簡翻訳の完成が待たれます。私も、翻訳校正に少しばかり関わっておりますが、イエスが最も忌み嫌った、「神への信仰とは、かくあるべし」というパリサイ派や律法学者の姿勢や振る舞いが現代にも見られる文章が綴られておりました。大斎節の大きな目標は「衣服ではなく、心を裂く」ことですが、以下の文章を通して、私たちの信仰の反省の材料にしたいものです。

かくある自分は何者

 寒い冬の日曜日のことでした。10時の礼拝があと10分で始まる時、C修道女が礼拝堂に入って跪きました。礼拝堂中央右手にストーブがあり、その前に2人の女子高校生が立って、身体を温めていました。二人はこれまで礼拝堂に入ったことがなく、きょろきょろと物珍しげにあたりを眺めていました。彼女たちは、このシスターが跪いてお祈りするのを見て、礼拝堂ではこのようにお祈りするものだということを初めて知ったようでした。これまで跪いてお祈りしたことがなく、どの列に坐ればよいのかも分かりませんでした。極度の緊張のあまり、彼女たちは、忍び笑いをし始めました。

 八代(斌助)司祭が聖堂に入って少女たちの姿を目にしたとき、シスターが立ち上がり、少女たちに「静かに! ここは神様のお家ですよ。お喋りしたり、しのび笑いをしたりしてはいけません。皆さんも、跪いてお祈りをなさって下さい」と、言うのを耳にしました。少女たちは驚いて、今まで以上に緊張し、再びしのび笑いを始めました。礼拝のために八代司祭が準備室に入ったとき、少女たちの姿は礼拝堂にはありませんでした。八代司祭はシスターのところに行き、「あの子たちは、どこに行ったのかなぁ」と、訊ねましたが、「知りません。」と答えるのです。「あなたは、あの少女たちを怖がらせて、教会から追い出してしまったのではないかなぁ」「でも、あの少女たちに、ここが神様の家だということを教えねばならないと思ったのです」「この礼拝堂は、あの子たちのためにつくられているのですよ」「でも、あの少女たちにはまず、ここが神聖な場所であり、ストーブの回りでぺチャぺチャと話をするような場所ではないということを教えてあげなければいけないのではないでしょうか?」 このようにシスターは言い張るのです。「少女たちは、そのようなことを知らなかったのですよ。彼女たちが、この教会に来るのにどれほど大きな勇気が必要だったと思いますか。教会に来るということは、あの少女たちにとっては大きな出来事だったのですよ。どうしていいのか全く何の予備知識もなかったのですよ」と八代司祭は言いました。しかしシスターは、「この教会では、皆さん、礼拝ということを甘く考え過ぎてはいないでしょうか? この教会に来る方々の中には、礼拝堂でお喋りにやって来る方がいるのです。私たちは、日本の方たちに、教会でのマナーを教えてあげねばならないのではないでしょうか? それも、最初から教えてあげる必要があります。私は、決して間違ったことをしたとは思いません」「しかし、あの少女たちはどこかに行ってしまったではありませんか。きっと、二度と教会には来ないでしょう」「それは愚かなことをしたものですねぇ」「それは、反対ですよ。あなたは、あの少女たちに優しく声をかけ、どこに坐ればいいのかとか教えて上げましたか? それにあの少女たちの名前とか住所とかを聞きましたか?」 これに対する返事はシスターからはありませんでした。「あなたも私も、まさにそのような目的のためにここで働いているのではないのですか? あなたは、願ってもないチャンスを失ってしまったのですよ」「でも、ここは神様の家なのですよ」「あの少女たちは神の子であり、教会があの子たちのためにあり、あの少女たちが教会のためにあるのではないのですよ」「私は、間違ったことをしたとは思っておりません」「あなたは、神に対する敬虔な気持ちのあまり、あの2人の少女たちを教会から追い出してしまったのです。あなたは、あの人たちに、ミルクを飲む前に肉を食べさせようとしたのです。このことを神に詫びねばなりません」「私は、司祭様のお考えに賛成できません。私は、正しいことをしたと信じています」と、シスターは言い張るのでした。6ヶ月後、シスターとこのことについて話し合ったときにも、シスターは自分のほうが正しいと主張するのでした。
 「神の恵みのためにのみ、ジョン・バニアンは遣わされている。」という言葉を思い出しました。と言うのは、私もまた何度も、同じような過ちを犯していたからなのです。

勝ち誇る牧師の愚かさ

牧師のB司祭は、教会委員会と揉めていました。自分が望んでいることを認めてもらえないのです。委員会で自分の意見が通らなかった後、牧師は個別に、反対する委員に会いました。その後、八代主教のところにやってきて、「よろこんでください。私の勝ちです。私は、委員一人ひとりの賛同を得ました。もうこれで、教会委員会で問題が起きることはありません」と言うのでした。「あなたはそれで自分を勝ち誇っていますが、神様に願うべき何かがそこにあってのことだったのですか?」と八代主教は訊ねるのでした

二酸化炭素を制御せよ

ロンドンにある全聖公会本部から毎日のように、全聖公会のニュースがメール配信されます。食事や娯楽の節制が強調されるのが大斎節の常ですが、2016年は、神の御心にかなった生活が送れるよう、神の被造物を痛めつける原因となる二酸化炭素排出量を減らすアピールが寄せられました。
  2月11日は、朝日や夕日を眺めて自然の偉大さを感じ取ろうとか、2月13日には、辺りの環境に耳を澄まし、注視し、感じ取って、改善すべきところは何かを知るために、家の周りを散歩しましょう。2月26日の夕ではどうでしょうか。ろうそくを灯して食事をしながらおしゃべりをし、その後ゲームをして楽しみましょう、というものです。
  5年前の東京を思い出します。関西では、普段通りのあかりが灯っておりましたが、会議のため品川駅に降り立ったときの暗さには驚かされました。福島第一原発事故によって、企業や個人が一体となって、電力消費を極力抑えるため協力していたのです。  自然破壊の原因を見極め、自然から生じる物の消費を抑えることによって、神さまが望まれる人間と自然の共生が可能となります。そして、節制によって得たものを、困難な状況に置かれてる人たちのために役立たせることが、大斎節の大きな意味となります