アンデレ便り:最終号 平和への希求

平和への希求

 北関東教区八代崇主教が首座主教に就任されたのは1994年ですがその年の9月、東アジア聖公会(CCEA)主教会が京都で開催されましたが、日本聖公会主催の歓迎会を開くことになり、京阪神教区から代表を出しなさいとのお達しにより、私も参加しました。

 八代斌助主教の願い
 東アジア聖公会のなかで、台湾と香港、そして東南アジア聖公会には多数の中国系主教が存在します。八代崇主教は挨拶のなかで、突然、日本の戦争責任について触れたのです。日本軍の銀輪部隊は開戦70日でマレー半島およびシンガポールを陥落し、約5千名のイギリス軍が命を失いました。同時に、非戦闘員である中国系民間人をターゲットにして殺戮したのです。この事実を述べ、本当に申し訳なかったことをしたと謝罪したとき、CCEA議長のシンガポール主教モーゼス・テイ主教と主教夫人は感極まって涙を流しました。親戚や友人知人の多くを失った悲しみの涙であったのです。2年後、日本聖公会総会は、戦争責任に関する責任宣言を採択するに至りました。
 理不尽なかたちで犠牲となったオーストラリアの人たちの遺族へ、謝罪と和解を求めるため1950年、聖公会主教会が作製した「竹の十字架」を持参して単身、オーストラリアを八代斌助主教は訪問しましたが、「謝罪と和解」は日本聖公会全体の立場の表明ではありませんでした。1996年の日本聖公会決議により、聖公会生野センターの働きや日韓宣教協働が促進されることになりました。父が果たせなかったことを息子である崇主教が受け継ぎ、結実させたのです。

 自律と宣教協働
 戦争責任と和解の業に関し、神戸教区所属の聖職者の熱意と努力を忘れてはなりません。八代斌助主教亡き後、教区主教に就任した中道淑夫主教と小南晶一司祭、そして瀬山岩雄司祭のことです。1970年代、財政自給達成を目標とした日本聖公会各教区の自律が海外の教会から強く求められました。同時に、かつて敵として戦った東アジア各国に対して和解を働きかけ、受ける教会から協働する教会への脱皮必要性が叫ばれたのです。教務院伝道局長であった小南司祭は単身、韓国、パプアニューギニア、フィリピンなどの聖公会を訪問し、日本聖公会は宣教のパートナー協定を結ぶ意思を持っていることを伝えました。これにより、2回にわたるパプアニューギニアキャンプが実現し、韓国から司祭や信徒が神戸教区を訪問して交流を深め、他教区の多くの教会では、フィリピンの教区・教会と協働関係に入ったのです。

宣教の支援者

 福音宣教を具体的に実行に移すため最も必要とされるのは何でしょうか。それぞれの地域に根ざした宣教の理念やそれに基づく計画立案でしょうか。確かにこれらは必要ではありますが、そこに人が存在しなければ何も起こらないのです。従って、司祭は人材発掘のために努力し、同時に、自分の能力がどのようなものであるか、その限界を知ることが先ず求められます。
 使徒言行録のなかでの使徒の働きを見ますとき、どの使徒も単独で宣教旅行を実施してはおりません。誰と一緒に行動するのかで、バルナバとパウロは言い争い、別々に行動することになりましたが(使徒言行録15:37以下)、それでも、宣教旅行を中止することはありませんでした。神戸教区主教の場合、どうでしょうか。
 初代のフォス主教は、プランマー司祭とともに神戸に140年前に上陸しました。残念なことに、同労者であったプランマー司祭はしばらくして病に倒れ、帰国を余儀なくされました。しかし、同じSPG派遣の主教や宣教師、水野功伝道師の協力を得ることができ、神戸における女子教育の必要性は、東京のビカステス主教の忠告が大いに役立ちました。
 第二代目のバジル主教はハイチャーチですが、ケラム修道院創設者ハーバート・ケレー神父や復活修道会創始者のチャールス・ゴア神父の推薦によって主教に就任しました。しかし、バジル主教の最大の支援者は、かつて副牧師を務めたロンドンの諸聖徒教会や、その後、牧師に就任したマグダレン教会の信徒やその関係者でした。バジル主教は神戸フェローシップを立ち上げ、その人たちがバジル主教の働きのために祈り、神戸教区の諸教会設立や維持のために献金を献げました。
 第三代の八代斌助主教の場合はいうまでもありません。多くの人たちが主教を支援しましたが、余りにも忙しいということもあり、神戸フェローシップ書簡をより充実させ、聖書や時代の流れの解説、教会や関係学校の動静などを綴った「ミカエルの友」を発刊し、これを読む神戸教区関係者の賛同や協力を得ることができたのです。
 13年にわたる私の主教時代、残念ながら聖職を志願しながら、途中で方向転換した神学生が数名存在しますが、それ以外の者は神学校での勉強に悩み、寮生活で困難さを覚えたものの聖職として召され、教会や関係学校で活躍しています。初志貫徹することができたのは、この人たちの才能や努力もさることながら、そこには陰ながらの応援があったからです。壁にぶち当たったときなど、友人たちや教会関係者が励まし、勇気づけ、前進するように促したのです。このような人たちの存在が少なければ少ないほど、途中で挫折してしまう確率が大です。神学生の多くは教区中高生会や青年交流会経験者ですが、ここで出会った仲間の支援によって今の自分が在ることを感謝しなければなりません。
 県内に1つしか存在しない教会の牧師は孤独な毎日を過ごさねばなりません。従って、牧師が独善的にならないためにも、信徒に協力を求めることが必要であり、それによってしか牧会・宣教活動の活性化は望めず、牧師、信徒の賜物が土に埋もれたままの状態が続いてしまうのです。 (3月25日・聖職按手式説教抜粋)

教区の皆様に感謝

 本号をもって、7年9ヶ月にわたり毎月発信した「アンデレ便り」を終了します。皆様にとってどれだけ信仰の糧となったのか皆目見当がつきませんが、ご愛読を感謝します。
 3月5日(日)は広島で、25日(土)は神戸で主教退任感謝会を開いてくださり、退職感謝献金もアピールしてくださり、ありがとうございました。
 教区で次期主教を選出できませんでしたが、牧会・宣教活動において教役者・信徒が互いに助け合い、補い合って生きる共同体として神戸教区が成長していくことをお祈りしております。それでは皆様、ごきげんよう・さようなら・グッバイ・God be with you