アンデレ便り12月号:愛する者を待つ心

 俳優の高倉健さんが11月10日に亡くなりました。若い頃から、高倉健主演の任侠映画のほとんどを観てきましたが、1977年公開の「幸福の黄色いハンカチ」のときには、愛する人への思いを振り切って、悪徳の限りを尽くしているやくざの組事務所に殴り込みをかけ、義理と人情を貫き通すそれまでのストーリーとは違った映画の主人公、高倉健さんの演技に感銘を受けました。

真っ赤なファミリア

 もう一つ、この映画で印象に残っているのは、失恋してヤケになった花田欽也(武田鉄矢)が、勤めていた工場を退職し、そのお金で買った真っ赤なファミリアです。
  1976年、私は広島復活教会に赴任しましたが、県外からのお客さんを、しばしば東洋工業(現マツダ)の自動車工場に案内しました。工場に入ってすぐに気づいたことは、従業員が多いということでした。実はこの頃、オイルショックの影響で、会社は赤字に転落し、経営危機に陥っており、リストラの一環として、全国の販売会社に社員を派遣しました。工場のラインで働いていた教会信徒の夫の場合、奈良県に出向が命じられましたが、営業経験は皆無であり、1年間で売った車はたったの一台という有様でした。営業活動になじめない人たちは死を選択し、当時、社会問題にもなったのです。反面、社員は直接、お客さんの生の声を聞くことができ、それを反映してつくりあげたのが、1980年6月発売の「赤いファミリア」でした。これが若者たちの間で大ヒットし、会社の経営危機を救ったのです。映画で登場するファミリアは、それ以前の車ですが、山田洋次監督は、東洋工業再建にエールを送るために、映画でこの車を登場させたのだと思いました。

黄色いハンカチ

 網走刑務所での刑期を終えた高倉健扮する勇作は、海岸に立ち寄り、そこで、朱美という女性を連れた欽也と出会い、3人の旅が開始されますが、勇作は自分の過去を語ります。スーパーのレジ係だった光枝(倍賞千恵子)と出会って結婚し、幸せな日々を過ごしておりましたが、あるきっかけから、勇作は妻の過去を知りました。絶望した勇作は、夜の繁華街に繰り出し、肩が当たった男と言い争いとなり、遂には相手を死なせてしまったのです。刑務所に入った勇作は、面会に訪れた光枝に「お前はまだ若いし、その気なら良い男もいるかも知れん」と、暗に離婚を諭しました。しかし、出所した勇作は、「もしも、まだ1人暮らしで俺を待っててくれるなら、黄色いハンカチをぶら下げておいてくれ。」という内容の葉書を送りました。
  それを聞いた欽也と朱美は、夕張の炭鉱住宅に行くことを決心するのです。途中、気弱になった勇作は、「妻が自分を待っているはずはない」と弱音を吐くのですが、朱美が励まし、とうとう車は夕張の町に入りました。ところが、勇作は車の中に閉じこもったまま 動こうとしないのです。代わって二人は車をおりて少し歩き、目指す住宅を遠くから眺めますと、そこにには、何十枚もの黄色いハンカチがたなびいていたのです。

待つ愛

 広島赴任以前、私は3年間、大久保主教時代の北関東教区にお世話になりました。この間、大久保主教の説教に接しましたが、主教はしばしば、私たちに待つことの大切さを説いておりました。
  「キリスト者のキリストを待つ、というこの教会の本質的姿勢もまた、いわば愛の経験にほかならない。それはとりも直さず、私たちがキリストに待たれることを意味し、待たれるが故に待つことを意味する。・・・・・・『待つ』ものは、実はまた『待たれている』ものであると言うこの愛の体験は、ある意味ではまた、愛する者を常にそこに見つけていることである。」と述べ、「私は、ある死刑囚の妻を知っている。前科数犯のあげく、残虐な殺人を犯すに至った、この箸にも棒にもかからない死刑囚を、彼の両親も、彼の兄弟も、今はすでに見限ってしまった。もはや誰も彼を待とうとはしていない。だがその中でただ一人、彼の妻だけが今もなお、彼を待っているのである。彼の両親も兄弟も、彼女の両親と共に、しばしば、離婚を勧め再出発を説く。だが彼女は、かたくそれを退けて、帰るはずのない彼を待とうとしているのである。或日、彼女はその彼女の心境をこう私に語ってくれた。
  『先生、誰よりも私が一番、彼に裏切られたのです。今ではもう彼に対する信頼も希望もございません。併し先生、このドタン場になって、誠に勝手ですが、彼は私を最後の頼りとし望みとして、彼なりの必死の思いを私に寄せています。こうした彼を知っては、どうして私が彼のことを思わないで居れましょうか』」(大久保直彦主教遺稿集「神の悲しみ」より)

 

ボクシング・デー、もう一つの祝い方

 「神のおとずれクリスマス号」でボクシング・デーについて言及しましたが、英国で迎えた最初のクリスマスは、イギリス南部のモートンハンプステッドというところでした。その村に住むエバリー夫人の家で12月26日を迎えた時、彼女が「ボクシング・デーのボックスとは郵便受けのことで、この日は郵便配達の人たちに感謝する日です。」と教えてくれました。主の天使が、マリアやヨセフ、ベツレヘムの野原の羊飼いたちに良きおとずれを伝えましたように、毎日メッセージを運んでくれる人たちへ感謝する習慣が、この日となったそうです。今日、手紙よりメールが自分の思いとか様々なことを知らせる手段となりました。ところが、結果的に悪い知らせとなる文章を送りつけてしまうことがあります。相手のメールの内容に腹を立ててしまい、即座に反応した場合です。今話題の通信手段「ライン」では、相手に読まれると「既読」が表示されますが、読んだだけでメッセージを返さない「既読スルー」が原因で、いじめにつながることがしばしばあります。メールによって、行間を読んだり、内容についてじっくりと考えたりする想像性が失われる危険性があるのです。天使たちが、マリアやヨセフ、羊飼いに会ってよい知らせを告げましたように、メールではなく、お話したい人と直接会って会話をし、それを通してしか、人間関係が豊にされないことを覚えたいと思います。

 

Merry Christmas and a Happy New Year!

 教区の皆様、今年は色々とお世話になりました。よいクリスマス、よいお年をお迎えください。