オーガスチンのまなざし 神のおとずれ 2020.4月号より

「煉獄と結婚」

 ある教会を巡回した時のことです。高齢の男性信徒さんから質問がありました。

「死んだ後、煉獄(れんごく)はありますか。天国で家内ともう一度、結婚生活が出来ますか」というものでした。

素晴らしい奥様と結婚生活をされたのだろうな、と少々うらやましくなりました。

私は次のように答えましたが、今はそれを後悔しています。

「残念なのですが、イエス様が十字架に架かる三日前の火曜日のことですが、『復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ』と言われていますから、天国で奥様と一緒に結婚生活は出来ないようです」と答えてしまいました。

 聖書を文字だけで追っていけば、このような答えもあるかもしれませんが、この方が問いたかったのは、愛する妻と再会できるだろうか、ということだった思います。

そしてその再会は、今まで以上に良い状態と考えて希望を持たれたらと、今なら言い直したい。

 前の聖歌集四九三番は、三節目で「おやはわが子に、ともはともに、いもせ(妹背・夫婦)相会う、父のみもと」と歌っていました。

どうして現在の五一八番は、「いもせ」を削ったのか、私にはわかりません。新婚のカップルは、結婚当初、お互いを知るために、会話を重ね、お互いに触れあって理解を深めてゆきます。

しかし年数を重ねれば、あまり言葉や体を触れ合わなくても理解し合える円熟した夫婦になってゆくものです。

そんな関係が、復活の時にはもっと充実、円熟しているだろうというのが聖書の語る『天使のようになるのだ』の意図なのかもしれません。

 質問した男性信徒さんが、問いたかったのはそんな機会があるかどうかが知りたくて、「煉獄はありますか」と問われたのではなかったかと思います。

聖公会は宗教改革の時、この世の人々の償いを要求する、当時の教会が教える「煉獄」は否定しましたが、死者との交わり、復活の望みを持って亡くなった人々との再会を否定してはいません。

(神戸教区主教)