アンデレ便り12月号:来年度に向けての神戸教区の姿勢

パイプオルガンの設置

   11月23日(金)開催の教区会で、聖ミカエル大聖堂にパイプオルガンが設置されることが決議されました。パイプオルガン導入によって、教区の礼拝音楽が豊かにされ、オルガニストの質的向上と育成がなされるように、祈ります。
  パイプオルガン設置のためには約4000万円必要ですが、不足金300万円と、パイプオルガン維持・管理基金500万円、計800万円の献金が来年早々開始されます。神戸教区関係者のご支援と献金を宜しくお願いいたします。

各教会の宣教問題(教区会開会演説より抜粋)

  1963年、カナダのトロントで開催された第2回アングリカン・コングレスで、ラムゼー・カンタベリー大主教は、他教会、他教区との協働体制構築の必要性を全聖公会に訴えるため、「おのれのためにだけに生きる教会はおのずから死にたえる。」と述べ、「キリストのからだにおける相互責任と相互依存(MRI)」という画期的な発想を全聖公会に提示しました。これに基づき、多くの教会が提携関係を結びました。残念ながら、特に、財政的見地からは、貧しい教会が、豊かな教会に一方的に依存してしまい、この姿勢が、教会の自給・自立を妨げる要因となりました。この反省を踏まえて、現在では、互いの弱さを補うために、教会や教区同士が宣教の互恵関係を結んで実施する、「宣教における協働(PIM・パートナーズ・イン・ミッション)が全聖公会内で奨励され、多く教区・教会で実施されております。
  来年度の教区予算では、各教会への牧会資金援助金総額が約800万円に達しました。これに加え、神戸教区の1名の聖職候補生と2名の神学生、計3名が神学教育を終えて教会に派遣されるとしますと、教区財政はますます困窮することは明らかです。
  翻って、神戸教区に聖職志願者が絶えないという事実は、神戸教区には、まだまだ教役者の人材が必要であるという、神のしるしとして捉えなければなりません。従いまして、今後教区で求められるのは、教育と教区財政安定化です。
 経験の浅い教役者を育てるためには、まず教役者自身が、一国一城の主であるという意識を捨てて、他の教役者と協働して、宣教の業を遂行しようとする姿勢が求められます。 近い将来、教会相互の宣教活動がより活発になり、牧師・信徒が活かされ、信仰生活がより豊かになるために、数名の教役者がチームを組んで、複数の教会を司牧するという体制が、伝道区単位などで構築されるよう希望します。一方、このような体制への移行は、各伝道区で核となる教会の財政負担が増大することが予想されます。

 来年度、教区の宣教委員会や財政委員会などで、この問題について協議していただくよう要請いたします。

過去の事実を忘れ去る人間の悪い習性

 先月号では、諸聖徒日・諸魂日の聖書的意味についての一考察を述べましたが、今回は、逝去者に関係する、教会と国家の姿勢について考えてみたいと思います。
  欧米で、10月31日のハロイン(諸聖徒日前夜祭)は盛大にお祝いされているようですが、翌日の諸聖徒日や11月2日の諸魂日に、多くの信徒が教会の礼拝に出席したり、お墓参りをするという話を余り聞きません。諸魂日には、日本聖公会の多くの教会で、教会創設以来、教会のために尽くしてこられた教役者・信徒の為に祈りを献げます。
この諸魂日を定め、全ての逝去者のために祈りを献げるという習慣は、13世紀から始められましたが、宗教改革者は、死者のために祈りを献げるのは、亡くなった人たちを偶像視することにつながるとして、この祈りを否定し、聖公会でも、この日は、諸聖徒日に取り込まれてしまいました。
  時代は変わり、ヨーロッパで起こされた第一次世界大戦では、敵味方合わせて、約1、000万人の人たちが戦争で命を落としました。遺された家族や友人・知人の多くは悲しみのどん底に置かれましたが、この人たちに神の慰めと、悲しみを乗り越えて生きる勇気を与えることが教会の重要な使命となりました。第一次世界大戦から11年後の、1928年に改正された英国聖公会祈祷書では、諸魂日を復活させ、この日、中世の時代から詠われてきた、「怒りの日」という言葉で始まる、「Dies Irae」を用いるよう、奨励しました。死はすべての終わりなのではなく、復活信仰によって明らかにされている、永遠の命に与る一里塚として、人の死を捉える必要性を教会は強調したのです。
  今年度のノーベル平和賞は欧州連合(EU)が受賞しました。ヨーロッパ各国は、第一次世界大戦の悲劇を反省することなく、20数年後、再度、各国が敵味方に分かれて銃火を交え、多くの人命が戦争によって失われました。長年にわたり対立したヨーロッパ各国の間に二度とこのような悲劇をもたらしてはいけないという反省に立ち、民主主義、自由、連帯の価値観に基づいて共同体を築いたのが欧州連合であったのです。
  戦後、60数年経ち、ギリシャやイタリア、スペイン、アイルランドの人たちの、経済に対する怠惰な姿勢は、勤勉な国にとって、許しがたい存在として写っているようです。欧州連合を、経済的な理由だけで、分裂させてはならないという意志がノーベル財団に働いたようです。戦争により大きな犠牲を払ったという過去の事実や、それに基づく反省を忘れてしまい、経済だけを最優先する今の社会への大きな警告として、今回の受賞の意味があると思います。
  今、東アジアでは、特に領土問題について、互いに自国の主張を譲らず、これが大きな政治問題としてクローズアップされております。最終的には、武力による解決しかないという主張も多くきかれます。私たちが領土問題を考えるとき、60数年前、日本は韓国や中国などを相手に戦争を仕掛け、これによって多くの人命が失われた事実を忘れてはなりません。二度と同じことを繰り返さないためにも、欧州連合と同じような思想に基づく平和実現のための枠組みの構築が、是非必要だと思います。そのために、東アジアの教会のより一層の連帯が不可欠なのです。