アンデレ便り5月号:教会の垣根
「不思議なキリスト教」という本がベストセラーとなっておりますが、2人の著者のうちの一人、橋詰大三郎氏の講演会での話が、「信徒の友」5月号に載せられておりました。
「まず、クリスチャン側の問題点としては、教会が内側に閉じているような気がする。外国に行くと私は、その土地の教会を見学するように心がけています。アメリカの教会はドアがいつも開いていて、初めて行ってもすぐ名前を聞かれたりしない。受付もないし、勝手に入って説教を聞いてもよい。がらんどうな教会堂でひとりでお祈りして出てきてもかまわないんです。誰でも来ていい、という原則がとてもはっきりしている。
でも、日本の教会はきれいにしなきゃいけないから、入り口で靴を脱いだりする。これだと、急に逃げ出せない。悪い人は教会に入りにくい。日本人は教会を「家」みたいに思っていて、そうすると、「内」と「外」ができてしまうんです。外の人には入りにくい場所になる。」
ある外国人が、私に日曜日の教会について問題点を指摘しました。
なぜ、礼拝堂入り口で名前を記入しなければならないか?
なぜ、牧師は礼拝後に、初めて出席した人の紹介をするのか?
なぜ、牧師は、信徒のプライバシー(例えば、病気で入院しているとか、退院した など)に抵触するようなことまで、礼拝後出席者に話をするのか?
なぜ、礼拝後の茶話会では、椅子とテーブルが用意されているのか?
これらは、日本におけるほとんどの教会の習慣なのですが、当然、黙って礼拝に出席したい人もおられますし、個人的なことを言われるのを嫌がる人もおられます。もっと沢山の人たちとの会話を楽しみたいのに、テーブルの前の椅子に座ってしまえば、対話の相手が限定されてしまいます。
アンデレ便り第30号に書きましたように、昨年10月、マレーシア、クチン教区聖ヨハネ教会の主日礼拝に出席し説教をしました。礼拝は朝の8時から開始されましたが、20分前から続々と村人がつめかけ、約300人の人たちで聖堂は一杯になりました。礼拝が終わったのですが、報告はありません。退堂聖歌の後、信徒は蜘蛛の子を散らすように帰途につきました。牧師も、次の教会の礼拝司式のために、いなくなりました。
一方、日曜日、教会に来ることを楽しみにしている信徒、特に高齢の方々が多いことも事実です。
昨年、ある教会を巡錫したとき、礼拝後食事会がもたれました。私の前に座っておられた高齢のご婦人が、「最近、耳が聞こえなくなって、特にテレビに出てくる、若い人たちがいったい何を言っているのか、さっぱりわかりません。NHKのアナウンサーの声だけ理解できます。先週は誰とも話をしておりません。電話もかかってきませんでした。毎日、神さまとお話するばかりです。ですから、日曜日の礼拝後、信徒の方々とお話することが私の唯一の楽しみなのです。」
今、神戸教区の各教会は、開かれた教会へ脱皮しようと、様々な方策が協議されておりますが、一概に教会といっても、それぞれ、歴史や習慣が異なりますし、都会と地方では、教会の有り様は違います。教会の独自性を十分に活かした、より豊かな交わりを形成するための議論が今、求められております。
この世への仕返し?
4月20日(金)、午後4時から「外国人との共生をめざす関西キリスト教代表者会議」がカトリック大阪司教館で行われました。その後、聖公会京阪神教区主教たちで夕食会を持ちましたが、午後8時半頃お開きとなり、大阪駅で新快速に飛び乗りました。これで今晩は早く帰れると思っていたところ、芦屋駅手前で急ブレーキがかかり、電車は止まってしまいました。車掌さんが、「運転手が異音を感知したので、その原因究明のために車両を点検しております。」というアナウンスでした。その異音とは、踏切で人をはねた音であったのですが、1時間10分経ってようやく、再び電車は動き出しました。この事故で、山陽の上下線がすべて停止し、多くの人たちが足止めをくらいました。
どうして、金曜日の夜の、このような混雑する時間帯を狙って、電車に飛び込むのでしょうか。それは、まるで、自分の人生の恨み、辛みを、充実した仕事もあり、家庭の団欒を楽しむ人たちが一杯詰まっている電車に向かって、からだごとぶつけて、その人たちに迷惑をかけ、自分の人生がいかに悲惨であったかの仕返しをしているように思えてならないのです。
他人が不幸な目にあったとき、多くの人たちは、それが自分でなくてよかったと安心します。もしも、そのような不幸が自分の身近に起こったとき、どうしてこの私だけが、そのような目に遭わなければならないのか、と思い、幸せそうに見える人たちに対して、恨みさえ抱きます。
旧約聖書のイザヤ書53章に次のような言葉が載せられております。
「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し、わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。」
イエスの死を振り返ってみるとき、弟子たちは、その死を身代わりと受け止めたのです。この地上には、多くの不幸が人間に襲いかかります。重い皮膚病もそうです。この病気が地上から撲滅されない限り、誰かがこの病気にかかります。ある特定の人たちが、誰かの身代わりになって病気になる。イエスは、誰かの身代わりとして、この世界の苦しみを全て背負われて十字架に死んだのでした。この贖いの御業に感謝するのが復活祭の意味なのです。