アンデレ便り4月号:祭按手式盛大に

3月22日(月)の長田・與賀田両執事の司祭按手式には、教区内外より関係聖職・信徒が300名以上集い、盛大に行われました。
 按手前3日間、両執事は岡野元京都教区主教の指導のもと、カトリック聖ヨハネ修道院で静想のときを持ち、按手式に臨みました。
 長田新司祭は、神学部卒業後数年間、社会人として生活。しかし、入学に際して求められる牧師の推薦状には、「将来は牧師になることを希望している」旨のことが明記されており、この事実を片時も忘れることができませんでした。悩んだ末、仕事を投げ打って神学校入学を決意、猛勉強の末卒業、今日を迎えました。
 與賀田新司祭は高校時代、司祭である父親を亡くし、心の大黒柱が突然、取り払われるという事態に陥ったと想像します。その後神学部に入学。在学中大いに悩み、長い間、教会から足が遠ざかっておりましたが、最終的には神学校に学びたい意志を牧師に表明しました。紆余曲折の後、この良き日を迎えたわけです。
 司祭に召されるまで、2人の背後に、神と、同僚聖職・信徒の方々の篤い祈りと声援があったことを忘れてはなりません。二人は、信徒の代表として推され、分かたれ、牧者、教師、聖奠を執り行う者、とりわけ聖餐式を執行する者として、主教のもつ司祭職に与るため、神から召し出されたのです。
 二人は、今まで蓄えてきた知識とか経験、常識を用いることによって司祭の職務を遂行するのではありません。これらを乗り越えて、常に、聖書に記されているキリストの祭司職を模範としつつ御言葉に耳を傾け、同時に、信徒の様々な声を受けとめつつ、神と信徒に忠実な牧者としての生活をこれから送ることが求められます。
 多くの青年たちも参加し、22日(月)夕方、神戸元町の某居酒屋で祝賀会が開催されました。キリスト教宣教の不振が叫ばれる今日、日本人の心の琴線に触れる宣教牧会が切に望まれます。新司祭に大いに期待するところです。

厳しい数字の連続 -教区統計より-

 今年度第1回の宣教検討委員会が、3月4日(土)教区会館で開催され、昨年度統計報告、及び、私が主教に就任して以来6年間の信徒増減、会計状況などのリストが提出され、教区内各教会の教勢及び財政実情把握に努めました。
 過去6年間、堅信受領者は218名、逝去者は215名です。これに加えて転会送籍者が180名もあり、数字から見る限り、信徒数が上向きになる要因は見あたりません。このようななか、嬉しいことに、一昨年比で、昨年度は現在受聖餐者が16名増加し、計1,530名となりました。
 普通献金は、6年間で1,350万円減収となっており、年間、200万円目減りしております。多額の献金を献げてくださった信徒が、高齢化のために次々と天に召されているからです。一方、堅信者受領者の多くは、小学校高学年から高校生であり、この人たちが財政的に教会を支えることは困難な状況なのです。
このような現実を踏まえ、宣教の停滞をどのように打破していくかが、今後の大きな課題となります。

心のふるさとへの想い

 卒業シーズンの3月となり、職務上、幼稚園から大学までの卒業式に出席しました。以下は、頌栄短期大学の式辞と松蔭チャペルニュースの原稿をもとにした文章です。

 中島みゆきの歌の中に『誕生』という曲があります。その歌詞を紹介しますと、

ふりかえるひまもなく時は流れて、帰りたい場所がまたひとつずつ消えてゆく。・・・・・・
Remember 生まれた時 だれでも言われた筈 耳をすまして思い出して
最初に聞いた Welcome Remember けれど もしも思い出せないなら 私いつでもあなたに言う 生まれてくれて Welcome

 ある人はこの歌を聴いて、「中島みゆきさんの『誕生』の歌詞を見て涙が止まりません。人は生まれた時はみんなから歓迎されたと思います。でも、今は自分なんて誰にも必要とされてないし、どうでもいい存在じゃないのか、なんのために生きているんだろう? 生まれてきてくれてありがとう! と思ってくれている人なんているんですか?」と今の自分を嘆いています。歌詞にある“帰りたい場所”とは、幼いころ、当たり前のように踏みしめた場所や学校、あるいは、母校が加わることでしょう。ところが、生まれ育った場所の多くは既に、駐車場や空き地、別の家になってしまっています。従って、“帰りたい場所”とは、今までの人生に縁のある色々な出来事や現象を指すものと解釈していいと思います。
 今まで手にしたものを失い、それによって辛い思いがそこにあっても、すばらしい人との出会いや感激した出来事が、人生に落胆している人たち、人間関係に苦しんでいる人たち、自分自身が分からなくなっている人たちに大きな励ましを与えるのです。その原点が、「あなたが生まれた時、あなたは誕生を祝福されたでしょう」に言い表されていると思います。多くの人たちの祝福によってこの世に生を授かった私たち一人ひとりは、計り知れない価値を持っているということなのです。「ひとり」である自分がどれだけ豊かであるかの自覚の原点が、多くの人たちから祝福された「私」の誕生だったのです。
 生まれてから大学卒業に至るまで、家族の者や他者から様々なものを受け取り、今日の自分が在ることを感謝しなければなりません。同時に、4月からは、自立が求められます。私たち一人ひとりに与えられている人生は、自分で切り開くのではありません。社会に必要とされている、不足している部分の穴埋めとして、私が用いられていくのです。自立とは、自分がこの世界や他者のために用いられていくことを意味します。社会がこの場所に自分を必要としている、これを職業への「召命(Calling)」と呼びますが、これは、他者や物事に対して謙遜な姿勢と、忍耐でもって、こつこつと学ぶことによってしか強まりません。厳しさをます実社会にあって、「着実な一歩一歩の積み重ね」が人生に充実感を与えるのです。