アンデレ便り1月号:2010年1月17日

今年の1月17日は日曜日と重なりました。神戸市内のどこを見渡しても、大震災の痕跡を見つけることは全く不可能となった町並みを眺めながら、須磨の聖ヨハネ教会に到着。教会では午前10時半と午後1時半に礼拝が行われ、朝の主日聖餐式では、顕現節第2主日の福音書「カナの婚宴」で水がブドウ酒に変えられた出来事を通して、神の栄光がマリアや弟子たちに顕わされた奇跡物語を学びました。

震災画完成

   午後1時半より、大震災15年目を記念し、震災犠牲者を追悼し、御心にかなった地域社会実現のために祈りを献げました。これを具体的に表現するため、聖ヨハネ教会では、「震災画」を作成、礼拝の時にそれが披露されました。
ベニヤ板7枚を使い、三層に分けての物語を表現しております。第一層は、老若男女、ユダヤ人だけではなく外国人を含め、5000人以上の人たちが2匹の魚と5つのパンで養われた物語、第二層は大震災の時に起こった出来事、第三層は、黙示録22,23章に基づいた神殿が描かれております。巨大が都そのものが神殿であり、その中に、キリスト者だけではなく、宗教を信じる全ての人たち、諸国民が栄光と誉れを携えて神殿に詣でるのです。

震災による悲劇

    大震災から15年の月日が経過し、被災者救援のために教会に滞在した立教高校や広島地域の高校生たちは全員社会人となっております。教会に避難した人たちのなかで高齢者の方々は、教会信徒の竹内さんご夫妻を含め3分の2以上の方々は天に召されていると思います。
 大震災は多くの人たちの心に傷跡を残しました。地震さえなければ、ローンを組み、必死になって働いて得た家を、一瞬にして失うことはなかったのです。住まいを失い、体育館などで生活する必要はありませんでした。そのような場で起こった争いに巻き込まれる必要なかったのです。遠くの親せきを頼って行ったところ、1週間は歓迎してくました。しかし、早く家から出て行って欲しい、という家族の思いが次第に明らかになり、肩身の狭い状態に置かれ、いたたまれずに、這々の体で神戸に帰ってきた人を沢山みかけました。ストレスが重なり、病を誘発し、死亡にいたるケースも多く見かけました。

ヨハネの人たち

   ヨハネ教会に避難した人たちの状態はどうだったでしょうか。震災発生から1か月、教会避難所は「貧しい人びとは幸いである。神の国はあなたがたのものである(ルカ福音書6章20節)」とイエスが言われたとおりの世界が実現されたのではなかろうかと思えてなりません。誰もが率直に心を開き、相手と会話することができました。与えられたもの全てを率直に受け取ることができました。率直に与えることもできました。多くのものを失いましたが、それにくよくよすることもありませんでした。教会の信徒は毎日のように教会に駆けつけ、焚きだしや被災者やボランティアの食事作りに精を出しました。
 人間とはどのように生き、人と交わるか、の見本をこの教会を示すことができたということは、すばらしいことです。困難の中にある人たちのために教会を提供することが出来、また、信徒の多くがこの人たちのために奉仕することができたことは、大きな恵みであり、困窮化にある人たちのためになしたことはキリストになしたことなのだ、という聖書の御言葉が真実であることを確信したのです。

教区事務所会議開催

 1月15日(金)、教区事務所に関わる全てのスタッフが集合し、2011年までの2年任期の事務所運営について協議するための初会合が開かれました。
 厳しい教区・教会財政と信徒減少のなかにあって、教区内各教会宣教活動をどのように支援するかが最大の課題となります。同時に教会の、地域社会への様々な働きかけに対する啓発活動を行う必要があります。加えて、教区外の宣教協働問題もかかえております。
その要が宣教部ですが、宣教部は、教区・教会の信徒教育に密接に関係する中高生会大会や青年会活動を担当しております。これらは教育的色彩の濃い活動ですが、主教座聖堂参事会や信徒・教役者神学塾も毎年、教育活動を実施しております。宣教部が更に、日曜学校、広島平和礼拝や、社会正義、差別、人権、なども取り扱うならば、余りにも範囲が多岐にわたり過ぎ、収拾不可能な状態に陥る危険性があります。
この2年間で、教区・教会に必要な、様々な問題に適切に対処できるよう、教区の機構改革を実施する必要に迫られていると思います。これは主教諮問機関である「宣教検討委員会」での検討も必要となるでしょう。

一致祈祷会

 1月16日(土)神戸バイブル・ハウスでカトリック、聖公会、プロテスタント教会の教職・信徒が集い祈りを献げましたが、礼拝説教を仰せつかりました。今から100年前、エジンバラで「エディンバラ宣教師会議」が開催され、世界各国より160のプロテスタント伝道協会及びギリシャ正教会から約1200名の代表が出席し、「いかに全世界を伝道できるか」について討議しました。この会議を境に、各教派はエキュメニカル派である世界教会協議会(WCC)と福音派のローザンヌ世界宣教会議に二極化しました。今のキリスト教の現状を考えるとき、参考になるのは、第三回ローザンヌ世界会議の決議です。「21世紀の最も大きな問題は、他宗教からの挑戦でも経済的な困難でもない。今日の教会そのものがイエスが願われた教会のようではない。福音自体ではなく、クリスチャンの一致や、潔さの欠如が人々のつまずきとなっている。今日の教会は、聖書の福音の本質を知らずに、幸せな生活を願うだけの繁栄の福音を求めるクリスチャンになっている。こうした教会の実態に対して、批判的な預言者的視点、21世紀の宗教改革が必要である」。「幸せな生活を願うだけの繁栄の福音を求めるクリスチャンになっている」との指摘は、キリスト者の多くが、この世の幸福だけを追求し、キリスト教の確信である、イエスの苦しみと十字架をないがしろにすることに繋がります。これは福音派の属する教会だけの問題ではなく、全ての教会が抱えている今日的な問題として捕らえる必要があるのです。