オーガスチンのまなざし 神のおとずれ 2020.10月号より

「司祭按手前リトリート」

8月22日(土)に予定していましたバルナバ永野拓也執事の司祭按手式は、兵庫県における新型コロナウイルス感染拡大のため、再延期となりました。

ただ「按手前のリトリートは、しておきましょう。」ということだったので、8月18日(火)〜21日(金)まで、宝塚の黙想の家を会場にリトリートを行いました。

黙想指導の私と永野執事の二人だけの黙想会です。

礼拝は、朝夕の祈り、正午前の聖餐式を二人で守りました。

 

「リトリートの内容」

どういう黙想をしようかと考えた末、祈祷書にある新執事への諮問(祈祷書474頁)と新司祭への諮問(同455頁)を中心に黙想指導を行いました。

執事への諮問の中で、執事は教会の信徒の皆さんに仕えることは当たり前ですが、祈祷書には、「この世の人々(未信徒)の必要、関心、希望を正しく教会に伝えなければなりません」とあり、執事の関心が教会の中だけにあってはならないことを確認しました。

これは、現代にあって教会が宣教ということを考える時に忘れてはならないものです。

そして、執事按手式、司祭按手式の聖書日課を黙想のテキストとしました。仕えること、準備すること、派遣されること、神様との出会い、良い羊飼いについてなど、聖書の解説、黙想、分かち合いと充実した時を過ごしました。

最後に、今回のリトリートで、一番伝えたかったことは、マタイ伝21章33節以下の「ぶどう園と農夫のたとえ」から、なぜ主人は収穫を受け取るために送った僕たちが、殺されたのに、自分の息子を送るのか、それほど収穫が欲しいということなのか、ということです。

収穫が欲しいということではなく、「あなたのためにこれだけの準備をした私がいることを知ってほしい」という神様の思いです。

その思いを伝えるために神様は独り子なるイエス様をこの世界に遣わして下さいました。

永野新司祭のためにも神様は、素晴らしい準備をしてくださっている、それを信じて進んでほしいと伝えて黙想会は終了しました。

(神戸教区主教)