オーガスチンのまなざし 神のおとずれ 2020.12月号より

「特任聖職 I」

十月十五日に開催された教区常置委員会で以下の件を承認していただきました。

「神戸教区における特任聖職 志願者の発掘および養成、教区民への啓発について、教区主教が神学塾運営委員会、聖職候補生養成委員会と相談しながら進めていく」。

 

事の起こり

今年七月号神のおとずれに、中原康貴司祭が「論説・特任聖職」を書いています。その結論部分で、「海外では特任聖職が《専任聖職と信徒》《教会と地域や職場》を結ぶ宣教の架け橋となり、欠かすことのできない存在となっています」と説明しています。この特任聖職について、中原司祭とあれこれ話をする中で、中原司祭が今年の三月までの一年間、東京の聖公会神学院で学んだ時に書いた論文「特任聖職の歴史と日本聖公会におけ可能性」を読ませてもらいました。世界の聖公会の中で、如何に特任聖職が受け入れられてきたか、また日本聖公会での特任聖職のこれまでの経緯と現状を分かりやすく書いています。またその論文で触れられている一九九四年の「日本聖公会の現状及び将来に関する主教会の見解(管区事務所HPに掲載)」の中で、「都会型農村型を問わず、教会の中での特任聖職の活躍の場は無限であり、各教会が一人以上の特任聖職を持つときに、専門化された専任聖職とのティーム・ミニストリーによって、宣教の活性化が計られると確信する。」とまで、踏み込んだ発言がされています。

 

「特任」とは

「特任」という言葉で、何を表すかが問題です。現段階では、無給で、その働きが住んでおられる地域に限定されます。しかし、正当な手続きを経て、聖公会の聖職として正式に按手された聖職ということです。私たちの神戸教区には、八代学院で働きながら執事職を担われた中村四朗先生、広島で聖モニカ幼稚園の園長をしながら働かれた嶋田克己執事がおられました。大切なことは、神様の教会に対して何かしたいという思いです。

(神戸教区主教)