オーガスチンのまなざし 神のおとずれ 2021年6月号より

「み国がきますように」を祈り続ける

 

五月十三日から二十三日まで、自分のため、五名の友人のために祈っていただけましたか。そして、この期間だけではなく、継続して祈っていただきたいと思います。福山・倉敷の平野一郎司祭が、この「み国が来ますように」の励ましのために、紹介して下さった文章を、以下に掲載します。ジョージ・ミュラーの『祈りの力』という本からです。

「一八四四年十一月に、私は、五人のまだ救われていない人々のために祈り始めました。健康である時も、病の床に伏している時も、旅をしている時も祈り続けました。そしてどんなに説教要請の数が山積したときにも、この祈りを忘れたことは一日もありませんでした。この五人の中、最初の人が救われるまでに一八カ月の時が過ぎていきました。私は神に感謝し、さらに祈り続けました。それから五年の歳月が過ぎ去りました。そしてついに二番目の人が主イエスに立ち帰ってきました。そこで私は、この二人目の回心のゆえに神に感謝すると、残りの三人のために祈り続けました。私は日々この三人のために祈ったのです。三人目が救われるまでに、さらに六年の月日が過ぎ去って行きました。そして三人目の人が救われたのです。この三人目のために主を讃えると、私はさらに残る二人が救われるために、祈り続けました。そしてこの二人は、いまだに救われていません。神の豊かな恵みによって、何万回となく、瞬間的に、あるいはその日のうちに祈りに応えられた私が、この二人の個人の救いのために、三六年間もの間祈り続けなければならず、しかもまだその応えが与えられていないのです。今度の十一月で、祈り始めてからちょうど三六年になります。しかしそれでもなお私は神に望みを置いて祈り続けているのです。そして、答えが与えられるのを期待して待ち望んでいます(注、この中の一人は、ミュラーの死の直前に救われた。他の一人がはっきりと救われたのはミュラーの死後のことであった)。」さあ神様に期待して、祈り続けましょう。

(神戸教区主教)