アンデレ便り6月号:聖霊の導き
キリスト教信仰の神髄ともいうべき三位一体の神のなかで、聖霊なる神がイエスをキリスト・救い主と信じる人たちのうえにくだり、これによって教会が発足し、全世界に向けての福音宣教が開始されました。では、聖霊は私たちにどのように働かけるのでしょうか。
聖霊の働き
父なる神のイメージを、聖書を読む人たちは一様に頭に描くことができます。イエスに関していえば、弟子たちや女性たち、民衆、そして敵対者たちが描く人間像が福音書に記されており、それを通して誰もが、イエスを自分のイメージで描くことができます。では、聖霊なる神はどうでしょうか。聖霊は私たちの心に直接訴えかけます。聖書が述べる神が世界と人間を創造し、その神は、真の救いを人びとに告知するために人間イエスをこの世に遣わした。このことを、私たち一人ひとりの心に知らしめようとするのです。
ヨハネ福音書は聖霊を弁護者(パラクレートス)と表現します。直訳しますと、「そばに呼び出された者」という意味で、被疑者を助けるために、法廷に呼び出される弁護士です。イエスは不遜な人物として罪が暴かれ、有罪判決を受けて処刑されました。しかし、イエスの死後、弁護士が現れ、判決を覆してしまったのです。イエスが罪を犯した結果、死の宣告を受けたのではなく、この世がイエスを救い主として信じることができなかったために、このような結果になってしまった。これをパラクレートスが明らかにします。
棕櫚の日曜日・受難主日の翌日から受苦日の聖餐式で読まれる旧約聖書日課のイザヤ書42章から53章に記されているとおり、苦難の僕としてのイエスが生涯を終えたことを、イエスの死後、弟子たちは知るに至ったのです。
「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し、わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」 (イザヤ書53:3以下)
苦しむ人や孤独にさいなまされている人は、誰かが側にいて話し相手になり、慰めて欲しいものです。パラクレートスのもう一つの訳は「慰め主」です。最後の晩餐の場面では、イエスの弟子たちは悲しみに沈んでおりました。イエスが去って行こうとしていたからです。弟子たちを慰めるのは、イエスに代わってその役割を担うことのできる存在が必要です。それが慰め主なのです。
第3には、聖霊なる神は私たちを最も適切な場に派遣するということです。そこで、私たちは自分に備えられている賜物を用いて、様々な活動を他者との協働により、行っています。とこ ろが、遣わされた場は、居心地が良いとは限らないのです。必ずそこには弱さやもろさが存在し、私たちを悩ましております。実は、弱さとは私たち自身の中に存在しているのです。普段は意識していないのですが、何かの拍子に、自分が思い、行っていることが自分の楽しみや満足のためであることに気づくのです。
使命を生きる意味
旧約聖書ヨブ記で、ヨブほどの立派な人間はこの世にはいないと神がサタンに自慢したとき、「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。」と神に楯突きました。2つの人災と天災がくだされ、ヨブは不幸のどん底に落とされました。ヨブの妻も追い打ちをかけます。「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」。今度は友人がやってきて、ヨブの過ちや弱さを責めるのですが、それでも、ヨブは神への信仰を失いませんでした。
自分の在り方に問題があることを知らせてくださったのは、聖霊なる神がその心に働きかけた結果なのですが、欲望に負けてしまい、人間関係にも害を与えることになるのは、善悪を知る木の実を食べてしまったエバとアダムの例が示す通りなのです。
今年はSPGフォス・プランマー両司祭が、英国から見ますと、東の極と呼ばれた日本の神戸に上陸してから140年目になります。ではなぜ、西の極から両司祭はわざわざやってきたのでしょうか。
キリスト教は近東地域の1宗教に留まらず、小アジア、そしてローマに伝えられ、そこから世界各地に宣教師が派遣されて世界大の宗教に成長しました。最大の功労者は聖パウロですが、そのパウロが囚人となってローマに向けて、船で護送されていく途中、大きな嵐に遭遇しました。激しい風雨は10日以上続き、船は沈没寸前となり、船員は積荷や船具まで捨てざるを得ませんでした。それでも太陽も星もみえず、助かる望みも消え失せたのです。ところがパウロだけは生きる望みを持っており、乗船者全員に向かって希望を持つように励ましました。パウロの激励によって、乗船者は気を取り直し、14日間の漂流にも耐え、船はとうとうマルタ島に近づいたのです。ところが、とんでもない事が起こりました。希望が目の前で実現されようとしたとき、船員たちだけが助かろうとし、小舟で逃げようとしたのです。船員なしでは船を岸に着けさせることが困難になることは明白です。バウロは船員たちの行動に気づいて、それを止めさせたのでした。
そこでパウロは食事を勧め、「パンを取り感謝の祈りをささげてパンを裂いて」みんなに配りました。この食事を通して、自分たちは仲間であり、力を合わさなければ、助かること見込みがないことを再確認したのです。 その後、船は深みに挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、激しい波によって船尾が壊れだしました。泳げる者は、海に飛び込んで自力で海岸にたどり着きました。泳げない乗客は板切れにつかまったり、逃げだそうとしていた船乗りがその人たちを引っ張って陸地までたどり着き、乗組員全員276名の命が救われました
。 船や積み荷、自分たちの所持品全てを失いましたが、命だけは助かりました。心を一つにして、それぞれが持っている力と英知を結集すれば、必ず困難を乗り切ることを彼らは体験し、それが人生の大きな糧となりました。このようにして、パウロはローマにたどり着きました。使徒言行録27章に記されているこの事件を通して、キリストの福音を伝えることへの困難さと、それを乗り越えたときの喜びと感謝を福音記者ルカは淡々と書き記しました。
フォス・プランマー両司祭は、きっと、この出来事を自分たちの宣教の模範としたことでしょう。聖霊なる神は、私たち一人ひとりにも使命(ミッション)を遂行するように促しています。
(5月22日・岡山聖オーガスチン教会・三位一体主日説教抜粋)