オーガスチンのまなざし 神のおとずれ 2019.6月号より

オーガスチンのまなざし 神のおとずれ 2019.6月号より

『自己理解』
 今年二月初め、英国カンタべリー大聖堂の新任主教研修に参加しました(四月号参照)。日々の礼拝は世界約160か国、七千万人以上の信徒の総本山の大聖堂で行われました。礼拝の前後、トマス・ベケット暗殺の場所や聖オーガスチンの椅子、地下礼拝堂などを歩きながら歴史の重みを感じていましたら、ふと目に着いたのは巡礼者に向けての大聖堂の紹介文でした。

『カンタベリー・キリスト大聖堂の目的は、神様に対する祈りと賛美の場所となることです。私たちの使命(ミッション)は、人々にイエス様を見せることです。そのために私たちは暖かい歓迎と接待を用意しています。そして、すべての人に神様の威厳を見る機会を与えます。』と説明されていました。
 この紹介文を読みながら、私たちの大聖堂は、どうなんだろう?神戸教区に属する教会は、どうなんだろう?と考えました。何のために私たちの教会はあるのでしょうか?そのことを明確に表現した紹介文は教会に用意され、信徒の皆さんの中で分かち合われているのでしょうか。そうした教会の存在目的を話し合うことも大切と思います。

また四月号で、弟子養成の大切さを書きました。みなさんはどういう信徒に成長するように期待されているとお考えでしょうか。信仰生活の目標がしっかり見据えられていることが大切に思います。

祈祷書の中に教会問答という箇所があります。祈祷書258頁から。その29の問は「信徒とは何ですか」。答は「キリストとその教会を表し、どこにいてもキリストを証し、与えられた賜物によって、この世で、キリストの和解の業を遂行し、教会の生活と礼拝と運営に責任を負う者です」とあります。そして教会問答の最初の説明文には、「信徒は皆これ(教会問答)をよく身に付け、またこれを人々に伝え証しすることが大切である。」とあります。

こうした学びをしっかり行っていく事、そこに神様が期待されている弟子としての信徒の姿があると考えます。