アンデレ便り3月号:イエスは怒った

 「私らは起きる前から、寝間の中で持戒波羅蜜ーつまり殺生をしない、盗みをしない、みだらな男女関係を持たない、みだらなことば、嘘偽りを吐かないこと、そしてお酒を飲まないこと、これを寝間の中で誓い起きてくる。起きてくるのやけれども、寝るときになって思い返したら何一つ守られておりません。べつに私は邪淫は犯しておりませんけれども、とにかく犯すところ大であります。誓うても守りきることのできないそこに、ひとつの反省とそれにたいするお詫びの心、懺悔する心があるのです。朝、懺悔しないで起きた私と、懺悔をして起きた私と、目には見えないけれども、やはりどこやら心の養われかたはちごうているものを養っていただいているのです。ですから、朝に起きて戒めを誓い、夕べにいぬるときにはこれを守りきることの出来ないことを懺悔する。反省する。これが日一日の慎み深さを養うていただく道になるのではないか、と思うのです。このような宗教的な生活をしていたり、宗教的な心のある人と、宗教的な心の養われていない人とでは違うといいます。」 (高田好胤著「佛法を説く」より)

 今年も大斎節が開始され、大斎始日の懺悔式で、私たちは、自分の怠慢、不品行、金銭欲、快楽追求、偏見、差別、社会の不正に無関心であったことなどを告白し、懺悔しました。そして、大斎第一主日聖餐式の福音書は、イエスが荒野でサタンから誘惑された記事が読まれました。サタンは、優しく親切で、耳障りの良い言葉で、人の心深くに潜んでいる、高慢、虚栄、偽善、ねたみ、憎しみ、恨み、無慈悲などを正当化させ、他者を貶めるよう、私たちを誘惑するのです。
  ヨハネによる福音書2章では、過越祭が近づき、イエスはエルサレムに上って行かれた記事が載せられております。神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちをご覧になったイエスは、縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに、「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。(16節)」と言われました。
  柔和で心優しいと思われがちなイエスが、縄の鞭を振り回し、商人たちの台を蹴散らして、商人たちを追い出されたというのですから、驚いてしまいます。純粋な信仰心で祈りに来る人たちによって神殿は清められ、名実共に、その名にふさわしい存在となります。一方、この人たちを利用して金儲けをしようとする商人たちによって、神殿が汚されている現実に、イエスは目をつぶることができなかったのです。この神殿は紀元70年にローマ軍によって破壊されましたが、イエスがいうところの神殿は、エルサレムに存在したのではありません。
  パウロが、「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものであり、あなたがたはその神殿なのです(1コリ3:16、17)。」と言う通り、神殿は、私たち信仰者の心の中に存在するのです。その神殿が、この世の欲望や快楽、貪欲な精神、権力を求める意志などによって支配されていたらどうなるのでしょう。当然、神の子であるイエスの怒りは、当然、そのような心にも向けられてくるのです。
  私たちがどれだけ諸々の欲望に身をゆだね、他者に対しては、ねたみ、恨み、自慢し、高ぶっているかの現実に気づくときとして、大斎節を捉えたいものです。この気づきなくしては、謙虚になることはできないし、神の霊がその心に宿ることも不可能なのです。

 

聖公会の多様性を垣間見た4日間

 ボリー・ラポック、クチン教区主教の、東南アジア聖公会大主教着座式に出席するため、2月11日(土)朝、関空を出発して夕方、クアラルンプール(KL)空港に到着しました。直通特急に乗りKL中央駅まできましたが、この駅から別の乗り物に乗り継いで、目的地までいかねばなりません。昨年10月、東アジア聖公会総会出席のため、この駅に降り立ち、ホテル近くの駅はどこかを知るために、案内所に行きましたが、誰もいません。その近くにいた男性にホテルの場所を訊ねたところ、たままたその人がタクシー運転手であり、うっかりと口車に乗せられて、地下鉄料金の10倍、100リンギット(2700円)請求されました。同じ轍を踏んではいけません。今回は街の人たちが普段利用する電車に乗ることにしました。ところが、地下鉄案内には、目指すホテル近くの駅の名前が見当たらないのです。改札の駅員に駅名を言いますと、それはモノレールの駅名であることが判明。モノレールは駅の向かいのビルを挟んで、歩いて約5分のところにあり、目的の駅までの料金は、僅かに1.2リンギット(32円)でした。
  そのホテルは下町のど真ん中にあり、30度は優に超す、蒸し暑い夜の巷に繰り出し、いかがわしい店が軒を連ねるなかにあった中華料理店に入り夕食。海鮮ラーメン、焼きそばそしてワンタンを注文、400円也の夕食代でした。翌朝、午前5時に起床し空港へ。クチン空港には信徒の方が私たちを待っていてくださいました。着座式は12日(日)午後5時からですが、大聖堂ホールで茶菓が振る舞われました。そこには、世界各地から40名以上の主教たちが参集していたでしょうか。アメリカ聖公会から独立した、北アメリカ聖公会のボブ・ダンカン大主教や、カナダの「聖公会ネットワーク」、スティーブン・リュン主教、オーストラリア聖公会フィリップ・アスピネル首座主教の近くには、ことある毎にオーストラリア聖公会に楯突く、ピーター・タスカー、シドニー教区主教の姿もあります。英国聖公会CMS代表、カナダ・アメリカ聖公会代表などの顔も見られ、全聖公会の極左から極右まで、前回のランベス会議では実現しなかった、様々な立場の主教が一同に会し、ミニ・ランベス会議の様相を呈しておりました。大韓聖公会キム首座主教はニコニコ顔で私に近寄り、「中村主教もグローバルサウスに属するのでしょう。」と念を押します。私はつかさず、「いいえ、私はどっちつかずの第三極の立場です。」と言い返しました。この場で、4年前のランベス会議のとき、同じグループで聖書研究をした主教と再会しました。しかし、私はその人物を別の主教と見間違っていたのです。  (次月に続く)