アンデレ便り8月号:心のふるさと

写真付きのアンデレ便り8月1日号は、こちらからご覧になれます。

 末永恵司祭は、7月19日午後2時前、82才の地上での生活に終わりを告げ、天に召されました。7月14日、末永司祭を見舞つた広島復活教会牧師の小林司祭は、メールを神戸教区内の教役者に配信しました。病床で末永司祭は、「今までのことを感謝している。下関に帰りたいな―」とおっしゃったということでした。

貧すれど鈍せず

 私が小学校低学年であつた頃、末永司祭は毎日のように、父が牧師をしていた下関聖フランシス・ザビエル教会に来ておりました。それも午後3時か4時頃で、お袋が当時6人いた兄弟のためにおやつを作り、食べる時刻でした。さあ、いただきましょう、という頃合いを見計らったように、「今日は、みんな元気ですか」と言いながら居間に入つてきて、兄弟の間に割り込んできます。お袋は、親切にも、末永司祭のおやつをつくるため、兄弟の分を少しずつ減らしていきます。たまの出来事なら我慢もできようというものですが、それが恒常化しますと、なぜ、この人は、こんな時刻にわざわざやってくるのか。
  どうして自分たちの持ち分がこの人のために減らされてしまうのか、との思いを抱かざるを得ませんでした。その末永司祭も、小学校3年生の4月、忽然と姿を消しました。
  末永司祭は当時、実習聖職候補生であり、俸給を貰える身でした。恐らく、その俸給の一部を、私たち、兄弟の茶菓代として、お袋にこっそり差し出していたのだと推測します。
もう一つ重要なことは、貧しくて食料が十分になくても、僅かな物を、たとえその相手が自分にとって好ましくない人物であつても、その人と共に分かち合うことの必要性を、お袋は、私たちに教えたかったのだと思います。
  英語の教師をしていた若い信徒は、日曜日の礼拝後、10円賭けて将棋をしよう、と私に持ちかけてきます。軍配は、ほとんどの場合、私にあがります。よくよく、考えてみますと、
 私が強かったわけではなく、この人は、わざと負けて、私に小遣いをあげようとされたのです。

教会の人間模様

  日本家屋を改造した礼拝堂の縁側に、数ヶ月、今まで会つたこともない中年の女性がひつそりと居候をしていたこともあります。夫婦喧嘩をして家を飛び出し、夜中に、泊まらせてくださいと、教会の戸を叩く信徒の方もおられました。これに加えて、海兵隊員として、サイパン島やテニアン島の上陸作戦に加わり、戦争の悲惨さを目の当たりにして、アメリカ軍の姿勢を鋭く批判した、コールマン司祭が宣教師として、やってきました。終戦後、荒廃した国上の復興と日本人の心の癒しのため、大学に入り直して、臨床心理学を学んで司祭になつた方です。コールマン司祭に親父は、日本語習得の早道として日本映画を見ることを勧めました。コールマン司祭は、当時大流行していた、チャンバラ映画を度々見にでかけ、私たち兄弟に、「本日はよい天気でござるのう。皆の衆、元気でごぎるか。」と、誠に不思議な日本語で話しかけてくるのです。私たちには、おかしな外国人と映りました。
  60数年前の出来事全てが、懐かしい想い出に変わつてしまいますが、当時は誰もが貧しく、生きることに精一杯だつた時代です。しかし、下関の教会から2人の司祭、2人の婦
 人伝道師が誕生しました。
  司祭となられた末永司祭は、高松聖ヤコブ教会と、コールマン司祭が礎を築かれた、徳山聖公会に赴任され、その後、縁あつて北関東教区に移籍され、20年間、働かれました。末永司祭にとつて、下関こそ、様々な人たちの出会いによって、聖職を目指すことを決心した場所、その後、聖職として苦しみや困難に出会つても、心の支えとなった場所でした。下関は、末永司祭の心のふるさとであつたのです。 (末永司祭葬送式説教抜粋)

 

宣教する教会向けて

 1992年、古本純一郎主教は、教区会の開会演説で、神戸教区の教役者・信徒に次のように教示されました。
  1988年のランベス会議で、「全聖公会の管区・教区に21世紀に至る最後の10年が始まるにあたつて、福音伝道が教会の本質的な務めであることを確認し、気分を新たにし、力を結集して、世界中の人々にイエス・キリストを知らせる新たな努力をすること」が決議されました。それに応えて、「福音伝道の10年」として現在、全聖公会の教区・教会が宣教計画を立案し、努力が払われていることは、先の教区会で八代崇(管理)主教が報告されました。八代崇主教は、「このような福音伝道を一所懸命やろうと言わざるを得ないというのは、やはり宣教の成果が世界的にあがっていない。つまり、伝道の不振だということの裏返しであろう」と述べられ、さらにその宣教不振の原因、宣教を妨げるものについて、
1.日本文化、社会の特殊性
2.日本聖公会の機構上の問題
3.日本聖公会の教会がいわゆる宣教型ではなく牧会型である。

という主教会の分析に触れられた後で、「牧会と宣教は相反するものでなく、私たち一人ひとりが聖職であれ、信徒であれ、キリストによつて委託された宣教の命令に従つてい
 けば、ごく自然に牧会も宣教もできるものである」と結論づけております。
  古本主教は1993年、各教会は努力目標を定め、実践計画を立案しそれを忠実に実行するように要請しました。この運動は1999年まで続けられましたが、残念ながら、教会の宣教活動の活性化に繋がりませんでした。私は2005年に教区主教に就任しましたが、この間、現在受聖餐者は約1600人から約100名減少しております。
  7月18日開催の教区宣教協議会には、教区内より約90名の教役者・信徒が集合し、各教会が現在までに実施してきた宣教・牧会活動を謙虚に振り返り、今後、教会が進むべき
道を探りました。これを教会宣教見直しの第一歩として捉え、各教会で、宣教のビジョンが掲げられることを期待します。ビジョン策定に際し、基礎となる全聖公会宣教宣言、すなわち、
1. よきおとずれを様々な場で証しする
2.ひとりでも多くの人をキリストヘと導き、育てる
3.愛の奉仕によって、苦しみ、悩みのなかにある人たちの必要に応える
4.愛の絆で結ばれた社会作りに参与する
5. 自然と共生することにより、地球の命を守り、育む

を常に念頭に置く必要があります。