B年 聖霊降臨後第3主日(特定6)特祷・聖書日課

  

聖霊降臨後第3主日

あなたを愛する者のために、人の思いに過ぎたよい賜物を備えてくださる神よ、
どうかわたしたちに何ものよりもあなたを愛する心を得させ、
わたしたちの望みうるすべてにまさる約束のものを与えてください。
主イエス・キリストによってお願いいたします。
アーメン

第1の朗読

エゼキエル書第31章1節から

第十一年の三月一日に、主の言葉がわたしに臨んだ。
「人の子よ、エジプトの王ファラオとその軍勢に向かって言いなさい。
お前の偉大さは誰と比べられよう。見よ、あなたは糸杉、レバノンの杉だ。
その枝は美しく、豊かな陰をつくり、丈は高く、梢は雲間にとどいた。
水がそれを育て、淵がそれを大きくした。
淵から流れる川は杉の周りを潤し、水路は野のすべての木に水を送った。
その丈は野のすべての木より高くなり、豊かに注ぐ水のゆえに大枝は茂り、若枝は伸びた。
大枝には空のすべての鳥が巣を作り、若枝の下では野のすべての獣が子を産み、多くの国民が皆、その木陰に住んだ。
それゆえ、主なる神はこう言われる。
彼の丈は高くされ、その梢を雲の間に伸ばしたので、心は驕り高ぶった。
わたしは彼を諸国の民の最も強い者の手に渡す。その者は彼を悪行に応じて扱う。
わたしは彼を追放する。諸国の最も凶暴な民である異国人が彼を切り倒し、山々の上に捨てる。
その枝はすべての谷間に落ち、若枝は切られて地のすべての谷を埋める。
地上のすべての民は、その木陰から逃げ去り、彼を捨てる。
彼の倒された幹には、空のすべての鳥が住み、若枝のもとには、野のすべての獣がやどる。
もはや、水のほとりの木もすべて丈を高くしえず、梢を雲の間に伸ばしえず、水に潤う木も、高ぶってそびえ立つことはできない。
彼らはすべて死に渡され、穴に下る人の子らと共に地の深き所へ行く。


詩編 92編1-4,12-15 

1,主をたたえることは良いこと‖ いと高き方のみ名をほめ歌うことはすばらしい
2,朝にあなたの慈しみを‖ タべにまことを宣べ伝え
3,竪琴を奏で、楽の音に合わせて‖ わたしはあなたをほめ歌う
4,主よ、あなたのみ業はわたしを喜ばせ‖ み手の業をわたしは喜び歌う
12,正しい人はなつめやしのように栄え‖ レバノンの杉のようにそびえる
13,主の家に植えられた人は‖ わたしたちの神の庭で栄える
14,年を経てもなお実を結び‖ いつも生き生きと生い茂る
15,こうして神の正しさが宣べ伝えられる‖ 神はわたしの岩。神には偽りがない


第2の朗読

使徒書 コリントの信徒への手紙二 第5章1節から

わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。
人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。
わたしたちは、天から与えられる住みかを上に着たいと切に願って、この地上の幕屋にあって苦しみもだえています。
それを脱いでも、わたしたちは裸のままではおりません。
この幕屋に住むわたしたちは重荷を負ってうめいておりますが、それは、地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではありません。
死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまうために、天から与えられる住みかを上に着たいからです。
わたしたちを、このようになるのにふさわしい者としてくださったのは、神です。
神は、その保証として〝霊〟を与えてくださったのです。
それで、わたしたちはいつも心強いのですが、体を住みかとしているかぎり、主から離れていることも知っています。
目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです。
わたしたちは、心強い。そして、体を離れて、主のもとに住むことをむしろ望んでいます。
だから、体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者でありたい。
なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。


福音書 

マルコによる福音書 第4章26節から

また、イエスは言われた。
「神の国は次のようなものである。
人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、
どうしてそうなるのか、その人は知らない。
土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。
実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」
更に、イエスは言われた。
「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。
土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」
イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。
たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。



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