憐れみ深い全能の神よ、どうか主の豊かな恵みによって、すべての害あるものから守ってください。
体と魂とに備えをし、あなたのみ心の思いを喜んで成し遂げることができますように、
父と聖霊とともに一体であって世々に生き支配しておられる主イエス・キリストによってお願いいたします。
アーメン
知恵の書第1章16節から
神を信じない者は言葉と行いで自らに死を招き、死を仲間と見なして身を滅ぼす。
すなわち、死と契約を結んだのだ。
死の仲間としてふさわしい者だから。
彼らはこう言い合うが、その考えは誤っている。
「我々の一生は短く、労苦に満ちていて、人生の終わりには死に打ち勝つすべがない。
我々の知るかぎり、陰府から戻って来た人はいない。
神に従う人は邪魔だから、だまして陥れよう。
我々のすることに反対し、律法に背くといって我々をとがめ 教訓に反するといって非難するのだから。
神に従う人は、神を知っていると公言し、自らを主の僕と呼んでいる。
彼らの存在は我々の考えをとがめだてる。だから、見るだけで気が重くなる。
その生き方が他の者とは異なり、その行動も変わっているからだ。
我々を偽り者と見なし、汚れを避けるかのように我々の道を遠ざかる。
神に従う人の最期は幸せだと言い、神が自分の父であると豪語する。
それなら彼の言葉が真実かどうか見てやろう。
生涯の終わりに何が起こるかを確かめよう。
本当に彼が神の子なら、助けてもらえるはずだ。敵の手から救い出されるはずだ。
暴力と責め苦を加えて彼を試してみよう。その寛容ぶりを知るために、悪への忍耐ぶりを試みるために。
彼を不名誉な死に追いやろう。彼の言葉どおりなら、神の助けがあるはずだ。」
神を信じない者はこのように考える。だが、それは間違っている。悪に目がくらんでいるのだ。
彼らは神の奥深い御旨を知らず、清い生活がもたらす報いを期待せず、汚れない魂の受ける誉れをも認めない。
1, 神よ、み名によってわたしを救い‖ あなたの力で守ってください
2, 神よ、わたしの祈りを聞き‖ わたしの言葉に耳を傾けてください
3, 高ぶる者が逆らって立ち、暴力を振るう者がわたしの命をねらう‖ 彼らはあなたのことを気にもかけない
4, 見よ、神はわたしの助け‖ 主はわたしの命の支え
5, わたしの敵には災いをもって報い‖ あなたのまことのゆえに彼らを滅ぼしてください
6, 神よ、わたしは進んでいけにえを献げ‖ 慈しみ深いみ名をたたえる
7, あなたはすべての苦しみからわたしを救い‖ 悪の衰えを示してくださった
ヤコブの手紙 第3章16節から
ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。
上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。
憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。
義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。
何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。
あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。
あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。
得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。
神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。
世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。
それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。
「神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、もっと豊かな恵みをくださる。」
それで、こう書かれています。
「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる。」
マルコによる福音書 第9章30節から
一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。
しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。
それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。
弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。
一行はカファルナウムに来た。
家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。
彼らは黙っていた。
途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。
イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。
「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」
そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。
「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。
わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」