C年 大斎節第4主日

大斎節第4主日

恵み深い父なる神よ、み子は、すべての人のまことの命のパンとなるために、天からこの世に降られました。
どうかこの命のパンによってわたしたちを養い、常に主がわたしたちのうちに生き、
わたしたちが主のうちに生きられるようにしてください。 父と聖霊とともに一体であって世々に生き支配しておられる主イエス・キリストによってお願いいたします。
アーメン

第1の朗読

ヨシュア記第五章九節から

主はヨシュアに言われた。
「今日、わたしはあなたたちから、エジプトでの恥辱を取り除いた(ガラ)。」
そのために、その場所の名はギルガルと呼ばれ、今日に至っている。
イスラエルの人々はギルガルに宿営していたが、その月の十四日の夕刻、エリコの平野で過越祭を祝った。
過越祭の翌日、その日のうちに彼らは土地の産物を、酵母を入れないパンや炒り麦にして食べた。
彼らが土地の産物を食べ始めたその日以来、マナは絶え、イスラエルの人々に、もはやマナはなくなった。
彼らは、その年にカナンの土地で取れた収穫物を食べた。


詩編 34編1-8 

1 わたしは常に主をたたえ‖ 絶えず賛美を口にする
2 わたしの心は主をたたえ‖ 貧しい人もそれを聞いて喜ぶ
3 心を合わせて主をあがめ‖ ともにみ名をたたえよう
4 わたしが主を求めると、神はこたえられ‖ すべての恐れから助けてくださった
5 神を仰げば人の顔は輝き‖ 恥を受けることはない
6 苦しむ者が主に叫ぶと、神は聞き‖ 悩みの中から救い出してくださった
7 神を畏れる人の周りには、主のみ使いは陣を敷き‖ 彼らを助け出してくださる
8 主が恵みに満ちておられることを味わい知れ‖ 神に寄り頼む人は幸せ


第2の朗読

コリントの信徒への手紙二 第五章一七節から

だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。
つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。
ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。
キリストに代わってお願いします。
神と和解させていただきなさい。
罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。
わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。


福音書 

ルカによる福音書 第15章11節から

また、イエスは言われた。
「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。
何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
そこで、彼は我に返って言った。
『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。
「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』
そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。
ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
息子は言った。
『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
しかし、父親は僕たちに言った。
『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』
そして、祝宴を始めた。
ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。
そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』
兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。
しかし、兄は父親に言った。
『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。
ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
すると、父親は言った。
『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」



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